父のこと 3
父から聞いた仕事の話といえばバーテンダー(というよりボーイ?)をしていた時の話。
いつも牛乳が店に届けられていたが、"牛乳はお肌に良い"という話を聞いた父は、いつも自分が店に来るのが一番だったのを良い事に「その牛乳で顔を洗っていたから俺は肌が綺麗だった」と言っている。
他にはよく聞く話だが、店のウイスキーは殆ど残り物を入れ替え新たに封をして新品に見せたモノというやつ。
その後の父は兎に角"女遊び"をしていたと語る。
その時の方法を僕によく教えようとしてくれていた。
「いいか、隆寛(僕)、先ずは時計を見るんだ。大体良い家の女は高い時計をしている。しかもそういう子は世間知らずだから押しに弱い。」と。
そして酒を飲ませたりしながら、途中で店主に電話を貸してくれと言うのだと。
その時に仲間や親と話しているフリをして「ベンツ(BMWやジャガーだったり)で迎えに来てくれ」とデカい声で話すのだそうだ。
因みにそれは丁度"国鉄の時間が終わる頃だ"と教わったが、若い自分へはJRと訳して教えて欲しかった。
他にも女性がトイレに立ったらお酒にタバコの葉を混ぜるとか、本当にクソみたいな話を沢山聞かされ、勿論僕はどれも実践した事はないし、そもそも色々と"時代や価値観"が違いすぎるのだ。
そうして男女の中になった後は、その女性らの収入でヒモとなる。
アップグレードされてゆくスーツや時計、それがまた次のターゲットを惑わす武器へと変わる。
けど訴えられたり、親や友人や警察に言われるのでは?となりそうだが、やはりこの時代は「恥」という概念が強く、中々そういった勇気を出せずに"忍耐"と"本物か分からない愛情"に覚悟を持ってしまう女性も少なくなかったそうだ。
こうして仲間らと遊ぶお金を手にしていった父は、当時付き合っていた女性と初めて商売を始めたらしい。
それは六角橋での小さな食堂だったそう。
当時まだ六角橋には殆ど飲食店もなく、それなりに繁盛したんだとか。
祖母や兄弟なども働かせ、そしてその後このお店を元手に商売を広げていった。
更に六角橋で火事があり、その焼跡ら辺を歩いていた時、その近所に繁盛店が出来ていたらしく、それを見た弟だか友人と「この火事の跡地を安く借りて店を出すぞ」と、そこそこ広めのスナックを出したそうだ。
そしてここもまた当たった。
父は店へ顔を出す事もあったそうだが、殆どは家族か愛人の様な女性達に店を任せ、遊んでいたという。
そんな中で父は"ある事に"気が付いたそうな。ー
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