父のこと 6
前述の『ペペルモコ』
の成功を受け、「鴨居駅」に釜飯屋を開業したり、その近くに土地も購入した。
その釜飯屋を開店させた"オレンジビル"は今も「鴨居駅」前で時代と共に様々な飲み屋が入ったり出たりしながら現存している。
また三ツ境に新たなスナックも開店。
順風満帆に思えた日々は、
『全学連』
この想定外の結果のせいかは不明だが、後に尾を引く結果をもたらした。
釜飯屋の一件に戻ろう。
こちらも開店当初は満席、順番待ちの状態になる程の盛況だったと聞く。
というのも、その要因の一つに
「釜飯は調理に時間が掛かる」のだ。
「蒸らす」工程を入れて、
大凡30〜40分は掛かるそう。
しかし『釜飯』という魅惑の娯楽が現れた地域のブームはある種「待ち時間も込み」での楽しみとなっていたのかもしれない。
『釜飯は儲かる』
「もっとお客さんを入れたい」
当然の発想かもしれない。
回転率を重視する為に、高価ではあるが
『釜飯を早く作る機械』を導入したそう。
その甲斐あって提供スピードは飛躍的に短縮。
30〜40分かかっていた時間が20分程度で提供可能になった。
しかしこれが失敗の元となった。
機械で「作る」ことは出来ても
『釜飯』の味の決め手の工程『蒸らす』の再現度が著しく低かった。
これをきっかけに『味が落ちた』と客離れさえも早めてしまったのだから釜飯機の短縮力には驚かされる。
これに加えて『ペペルモコ』の一件なども重なり、キャッシュが足らない状況に陥り、次々と店をたたむ羽目となった。
そんな中「資産」へと代えていた
『自宅』と『横浜の物件』が最後の砦となってくれた。
諸々を手放し、唯一残った店。
それが横浜駅から徒歩5分(早歩き)
当時は未だ未だ周りにダイエー位しかない場所に出来た『アネックス横浜』というマンション兼テナントビルの一室。
そこで始めていた
【掘り炬燵(お座敷)のカラオケスナック コバ】
そう、ここが後に現在まで残る
最後の生業の場所となる前身のお店なのだ。
『アネックス横浜』が
出来た時から入っている最古参。
僕が生まれるちょっと前。
当時の話を並びのスナックのママからも聞いた。
父は肝心な事は語らない。
話してくれるのは『成功』した結果のみ。
または「裏切られた」という感情のみ。
僕から聞くべきだったのかもしれない。
しかしそれでも一緒に居る時は話してはくれなかった。
聞きたかった。
『資金調達』に費やした試行錯誤を。
『成功』へ導いた先見を。
そして『失敗』から学んだ逆転の思考を。
父は認知症。
"現在と夢"の混同は進行している。
でも未だ過去の色濃い記憶は消えていない。
次の休みにでも見舞いへ行こう。ー
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